カブでヨーロッパ一周編

 思い出のポルトガル 後編 [ポルトガル] (2001/04/25-04/30)

・04/25 大学の街コインブラ
・04/26 名所観光
・04/27 思い出に浸る
・04/28 ここに地果て、海始まる......
・04/29 GPS復活
・04/30 思い出のポルトガル

通貨単位:Esc(エスクード)/100Esc=約48円


04/25 晴れ/曇り 大学の街コインブラ Coimbra/Residencial PARQUE/114.5km

 雲は多いが太陽がのぞいているまずまずの天気。雨さえ降らなければ問題はない。

 思い出のつまったポルトを後にし、ポルトガル中部のコインブラを目指す。距離は100km位なので、出発したのは昼の1時。それでも3時過ぎにはコインブラに到着した。しかし、ポルトガルの舗装はかなり荒れている。高速区間ではそういう部分は少ないからいいものの、特にポルトの街中はひどかった。気を抜くとふっとんでいってしまいそう・・・さらに石畳が多く、雨が降ると最悪だろうな。

 また他の国に比べて、ポルトガルは走行中にクラクションを鳴らして応援してくれる車が多い。フランスやスペインでは1日に1台から2台なのに、今日だけで数回はあった。また「なんだ、あのバイクは?」 といった視線を受けることも多い。子供達はよく手を振ってくれる。とても楽しいが、彼らの運転は非常に荒い・・・

 コインブラに早く到着したので、宿を決めた後街をぶらつく。宿はシャワーもトイレも共同だが、客が少なくとても快適。部屋もシャワーとトイレの隣なので楽チン。
  まずカード君でお金を引き出し(今日は下ろせた)、インフォメーションで地図をもらう。この街には、1290年創設の歴史のある大学があり、まずそこを見学。ブラジルを植民地にした頃の数々の調度品が旧大学の図書館収められているという話だが、その部屋は閉まっていた。コインブラへ来た目的の1つなのに非常に残念。でも2泊する予定なので、明日もう一度行ってみよう。また、大学は丘の上にありコインブラの街を見下ろせる。

 夕食は今日もシーフード。観光客は入らないようなひなびたレストランへ入りテキトーに注文する。親切な店のおじさんが「これはやめてこっちの方がうまいよ」と安い方のメニューを勧めてくれた(笑) 安い方とはいえ、味は最高!カニ・アサリ・エビなどのシーフードがたっぷり入った煮物で、日本でなら軽く2人前はある量。さらに野菜スープと飲み物、パン、食後にコーヒーを飲んで約800円。物価もとても安い。また、動けない程に食べてしまった・・・

04/26 晴れ 名所観光 Coimbra/Residencial PARQUE/0km

 珍しく快晴。Tシャツ一枚でも大丈夫なくらい暖かい。移動しない日に限ってこうだ・・・明日もいい天気だったらいいのに。

 まず昨日見学できなかった旧大学の図書館へ。今日は開いているようだが、入場制限をしている。人だかりが出来ていたので並ぶ。でもなぜかツアー客優先で後回しにされたが、少ない人数でゆっくり見学できた。図書館というももの中は凄く豪華な造り。いたるところに金箔を貼った本棚に無数の昔の本。ハシゴに至るまで装飾が施され、かつての栄光を偲ばせていた。調度品に期待していたが、残念ながら展示していなかった。

 その後、近くにあるマシャード ド カステロ美術館へ。中世の騎士像等の美術品を見学し、地下堂へ。客はほとんど来ないらしく、受付のおじさんが仕事をほったらかしで中を案内してくれた。地下堂の雰囲気が左の写真から伝わるだろうか。

 美術館を見学した後はコインブラ大学内の鉱物博物館へ。内容は普通だったが、すごく上手に分類してあり見やすかった。子供達が遠足で来ていてがやがやしていたが、ちょうど「日本式水晶」というちょっと変わった水晶を見ているときに、横にいた子供が「JAPAO」というのをみて、オレの方を振り向いた。まぁ、子供からしても日本人と一目で判るのだろう。「これはJAPAOの水晶なんだよ」と言うと彼は微笑んで2人で握手をした。こういうのも良い。

 その後はあても無くぶらぶら。ポルトガルに来ているのに、帆船が絵柄になっているベトナムの切手を買ってしまった。これがなかなかいい絵なんだよ。

 ぶらぶらしているとミニチュアポルトガル?みたいな所を見つけたので入ってみる。入場料に1,000Escもとられたが、なかなかよく出来ている。ポルトガル国内の名所や、植民地だった町の名所などをミニチュアで再現している。小さな子供が遊ぶには最適の大きさで親子連れが多く、ほのぼのした雰囲気。

 しかし、ポルトガル人は人が良い。横断歩道に歩行者がいる時、多くの車がちゃんと止まるし(他の国では滅多に止まってくれない)、歩いていると「タバコを一本くれ」とか「タバコに火をつけたいから、ちょっとライターを貸してくれ」とよく言われる。多くの人が他人と一線を引いていない感じで、みんな仲良しってな具合なんだろうな。

04/27 雨|晴れ/曇り 思い出に浸る Cascais/Residencial PARSI/225.1km

 早めにコインブラを発とうと思っていたので7時半に目覚ましをセット。眠い目をこすりながら起きると外は雨。今日はやめやめってことで2度寝。次に目を覚ました10時過ぎには晴天。なんともこの天気、どうにかならないものかね。

 それから荷造りをし、いざ出発って時にGPSの電源が入らない・・・これはカブ、バイオの次に大事なアイテムなので壊れると非常に痛い。カブのバッテリーから電源を取っていたので、予備の乾電池をセットし、本体の動作を確認する。乾電池では正常に起動し、本体の故障でなくて一安心。しかしバッテリーから電源を取れないのは大問題。接触不良かと思い、色々試行錯誤したが電気がきていないようだ。恐らくどこかで断線しているのだろう。結局そんなこんなでコインブラを出発したのは12時過ぎ。

 途中面白い事があった。貨物列車と並走した時に、突然列車が汽笛を鳴らした。びっくりして横を見ると、運転手がオレに手を振っている。クラクションなどで応援してくれることはあっても、列車は初めて。オレの乗っているのがカブだから、そしてここがポルトガルだからこそ、こういう楽しいが起こるだろう。

 今日はGPSが無かった為に道を間違えた。機械に頼りすぎると人間ダメになっていく典型。リスボンを迂回してシントラを経由しカスカイスで宿を取ろうと思っていたが、リスボンの中心地まで来てしまった。途中の道を見逃したのだろう。しかし、これはこれで正解。リスボンは約4年前に訪れたことがあり、その時の記憶が蘇り思い出に浸ってしまった。サン・ジョルジェ城、カイス・ド・ソドレ駅、クリスト・レイ、ジェロニモス修道院、発見のモニュメント、ベレンの塔・・・中でもベレンの塔は以前補修中でカバーが被せられていたが、今回はその全景を拝見。嬉しくなって市内に入り込み正面からも見てやった。

 リスボンで宿を探しても良かったのだが、前にほとんど歩き倒したから、予定通り少し離れたカスカイスという町に宿を取った。港町なのだが、かなり観光地化されており雰囲気はいまいち。周辺の町を回るために、ここではのんびり3泊する予定だ。

 また宿には電話もあり、壁のモジュラージャック形状が日本と同じRJ-11型で喜んでいたが、なぜか外線発信が出来ない。宿の人に聞いてみると、一括で管理しているから各部屋から外線発信できないらしい(意味はよくわからん)。フロントでメールをチェックしたいから電話を貸してくれと言うと「ここはデジタル回線だから君のアナログモデムではムリだよ」と言うので、カプラーを持ってきて「これでやるから問題ない。音で通信するんだ」と言うと、快く電話を貸してくれた。また、この宿のおじさんはフロントにLANまでひいているなかなか粋な人。LANカードを持ってたらLANで通信出来たのに残念。荷物削減でパリに置いてきてしまったことを後悔するが、時すでに遅し。受話器の形状は悪かったが、カプラーで無事メールの送受信をし、さらに電話代もタダにしてくれた。お礼を言うと「これ(カプラーのこと)はいいアイテムだね」と感心していた。

04/28 晴れ ここに地果て、海始まる...... Cascais/Residencial PARSI/122.3km

 天気は快晴。ここまで南へ降りてくると暑い。日中は海水浴をしている人もいる位だ。GPSは乾電池駆動で少し離れたリスボンへ向かう。

 4年前と比べて、少し変わったところもあるが、基本的にあまり変わってはいない(まぁ、あたりまえか)。写真左上は発見のモニュメント。これはエンリケ航海王子の500回忌を記念して1960年に建てられたもの。先頭のエンリケ航海王子が帆船を抱えている。その右は発見のモニュメント前の広場に描かれている世界地図。世界各地の「発見」された年号も書いてあり、日本は1541年となっている。正確には1543年とされているが、彼らにとって日本への到達は「発見」に他ならないのだ。
  左下はベレンの塔。16世紀初めに作られた塔で、大航海時代には数々の航海者達を見送ったテージョ川沿いにある塔。最後に写真右下がジェロニモ修道院。こちらも16世紀に建てられたもので、この2つはともに世界遺産に登録されている。この近くに海洋博物館があり、待望の帆船模型を堪能。かなりたくさんの模型があり、舟の進化がよくわかるいい博物館だ。

 あまりに暑いので公園のベンチで涼んでいると、となりのベンチで昼飯を食べていた2人のおばさんが魚肉のフライを持ってきてくれた(ポルトガル名物のようでめっちゃウマイ)。さらにジュースとりんごとビワまで。「マカオから来たの?」と聞かれたので「日本からです」と答えると、突然靴を脱いでペコペコ頭を下げ出した。かなりユーモアのあるおばさんだ(笑) 日本人は家の中で靴を履かないし、すぐ頭を下げるという事がとても滑稽なのだろう。またそのおばさん達は近くの博物館で働いているようで「ロシア音楽のコンサートをやってるから、来たらタダで入れてあげるよ」とまで言ってくれたが、さすがにそこまでしてもらう訳にもいかないので遠慮しといた。

 その後、リスボンからすこし離れたシントラという町へ。ここはエデンの園と呼ばれるほど美しい景観が広がっている。ムーア人が築いたという城壁が山の上に見える。カブで目指すが道がよくわからず散々迷ったあげく、駐車場から歩いて頂上まで登りついたものの、本日の営業は6時迄で終了しました、だって・・・その時6時10分。

 仕方が無いので、シントラを後にし、ユーラシア大陸最西端のロカ岬へ。有名な観光地のためシントラからは案内板が出ており、道に迷わず夕刻無事到着。ここの石碑にはポルトガル最大の詩人カモンエスの詩が刻まれている。

AQUI
ONDE A TERRA SE ACABA
E O MAR COMECA......

「ここに地果て、海始まる」という意味だそうだ。カブの後ろに見える塔にこの詩は刻まれている。ユーラシア大陸最西端ということで記念撮影・・・思えば西に来たもんだ。4年前にここに来た時、まさか次はカブで来るとは夢にも思ってなかったよ。

 またここでポルトガルのライダーと出逢った。「これでヨーロッパ一周する」と言うと笑っていた。やはりよっぽど変わった奴しかそんなことしないんだろうな(笑) 「ポルトガル人は運転がとても荒いから気を付けてね。あいつ等はクレイジーなんだ」と言うので 「でも、ポルトガル人の心はとても優しいですね」と返すと「YES!」と即答。どうしてポルトガル人はこんなに優しいのか研究した人はいないのかなぁ。そんな論文があったら是非読んでみたい。

 E.N.247という道路でカスカイスまで戻る途中、強風による舞い上がった砂で道路が埋まっているところがあり苦労した。何回かコケそうになったが気合で耐え、コケずに無事到着。

 夕食は趣向を代えてイタリア料理。つまみとパスタ、さらにワインに氷とフルーツを入れたものをたらふく食って飲んで・・・宿に帰るなり爆睡。つまり、この日記は翌日に書いたものだ。

04/29 晴れ/曇り GPS復活 Cascais/Residencial PARSI/0km

 雲は多いものの今日も晴れ。いい天気が続くのはいいことだ。午前中は眠っていたので昼からカスカイスの観光。とりたてて何があるというわけではないが、海辺を散歩したりで、結構のんびり出来る。

 昼飯は、妙に懐かしかったマクドナルド。ボルドー以降見かけなかった。今日はDomingo(日曜日)ということで日替わりメニューが「Mac Japao」。マックジャポンとはこれいかに、ということで食べてみたがポークハンバーグと野菜炒めをパンで挟んだ、どこが日本なのかよくわからない味。まずくはなかったけど、パンチは無い。しかし安い。300円ちょっとで日本のLサイズのセットが食べられる。

 昼過ぎにバッテリーから電源が取れなくなっていた原因をチェック。色々調べた結果(すぐに気がつかなかったのが情けない)GPS本体からシガーライターのソケットにつなぐコードの中にあるヒューズが切れていた。日曜日の為大型スーパーマーケット(jumboというホームセンターの兼ねたようなのがある)も休みでガソリンスタンドを求め歩く。カスカイスからほんの少し離れたエストリルという、馬鹿デカいカジノのある街のガソリンスタンドでヒューズを購入。取り替えるともちろん復活した。これで明日からまともに使える。

 宿に帰ってホームページを更新しようとフロントで電話を借りる。受話器の形状が悪く苦労の末接続できたのはいいものの通信速度が上がらず、メールの送受信のみでホームページのデータはアップできなかった。更新を心待ちにして下さっている方、本当にごめんなさい。

04/30 曇り/雨 思い出のポルトガル Beja/Hospedaria Rosa do Campo/281.4km

 昨夜12時頃、突然大粒の雨が降り出した。心配していた通り朝起きると雨。しばらくすると雨は止み晴れ間が覗いた。雲は多いが11時頃カスカイスを出発。しかし、出発後まもなく大粒の雨にやられ、まさにどしゃ降り。風防に雨滴がついて視界は最悪。

 高速道路を使わないとリスボン市外へ出るだけで本当に苦労する。看板も高速道路の行き先ばかり。迷いに迷って、さらに野良犬に追いかけられた末、昼の2時過ぎに「4月25日橋」を渡りリスボンの街を後にした。こういう時、大きいバイクならいいのになぁと正直思う。

 その後も雨が降ったり止んだりで、ライダースーツの防寒インナーを外したことを後悔する。雨が降ると極端に気温が下がる。さらに途中の町を抜ける時にも散々道に迷った。国道が町の中に入ると案内看板が消失する。どこを通れば町を抜けられるかがさっぱりわからないのだ。GPSに町の地図までは入っていないので、方向を見ながら進むがそれでも迷う。もう少し親切に書いておいてくれよ。

 結局、スペイン一歩手前のBejaという町で1泊することになった。時間も7時半頃でさらに雨も降り出したので、最初に見つけた宿で妥協。シャワー、トイレは共同で電話もないが、部屋はキレイし宿の人は親切。シャワーを浴びてからぶらぶらしたが、Bejaはのどかな田舎町で特に何も無い。でもそこがこの町の魅力なのかもしれない。

 いよいよ明日は再びスペインへ入国。名残惜しいがポルトガルは今夜で最後。ポルトガルには本当にたくさんの思い出がある。オレはずっと忘れないだろうし、きっとまたオレを迎えてくれるだろう。その時までしばしの別れだ。アディオス!


戻る 続く