カブでヨーロッパ一周編

 中欧へ突入! [ドイツ・ポーランド・チェコ] (2001/10/03-10/07)

・10/03 ドイツ統一の日 またまたトラブル発生・・・
・10/04 ベルリンを駆ける!
・10/05 迂回路でアウトバーンを疾走(笑)
・10/06 ポーランドからチェコへ
・10/07 プラハの天文時計

通貨単位:DM(ドイツマルク)/1DM=約57.2円 zl(ズウォティ)/1zl=約30.9円 Kc(チェココルナ)/1Kc=約3.2円


10/03 雨/曇り|晴れ ドイツ統一の日 またまたトラブル発生・・・ Berlin/JUGENDGASTEHAUS-BERLIN(ユース)/256.1km

 フェリーはドイツのRostock港に朝6時着の予定だったが、昨夜飲んだビールとウォッカが効いたのか目が覚めたのは6時半だった(笑)

 フェリー自体は早朝4時頃に入港したようだが、国際フェリーの為各種手続きと、荷物を運ぶ車両がほとんどなのでカスタムで時間を食われた。トラックの間の狭い空間で1時間以上待たされたぞ。そういえば警官がやって来てカブの登録証を見られた。やはりラトヴィアからの入国はしっかり見ているみたい。もちろんパスポートにスタンプも押された。そんなこんなで結局船から降りたのは8時頃。

 雨が降る中ベルリンを目指す。舗装の種類が違うのか、同じように舗装されている道でもバルト三国と比べて最高速度が格段に速い(10km/h以上。カブにとってこれは大きい)。地方道でも舗装は上々なので安心。もちろん案内標識も完璧に整備されており、全く迷わず昼過ぎに早々とベルリンに到着した。

 今日走ったのは旧東ドイツ側の道だが、今でもあの伝説の名車「トラバント」が現役バリバリで走っているのには驚いた。今日だけで数台は見かけた。ちなみに「トラバント」とは旧東側の名車中の名車で、西側では「走るシケイン」とまで呼ばれている(笑)
 でも我カブ号は、その「シケイン」にもあっさりと追い越されてしまうんだぜ(笑)

 今日は東西ドイツが統一された日。そのためベルリンの町はかなり騒がしく、何十台のもパトカーが出て交通規制をしいていた。ヘリコプターまで上空を飛んでいる。どデカいドイツ国旗を振りながら歩いている人までいたぞ。

 ところで、ここベルリンはドイツ民主共和国(東ドイツ)とドイツ連邦共和国(西ドイツ)の国境上にあった町だと思っている人が居るかもしれないので少し解説しておこう。「ベルリンの壁」を越えると「西ドイツ」というのは間違いではなかったが、その位置は旧東ドイツのほぼ中央にある。

 第二次世界大戦後ドイツは4つの占領地域に分けられた。南西部はフランス、北西部はイギリス、南部はアメリカ、東部はソ連、またソ連占領地域内部にあった「ベルリン」はこの4ヶ国に分割占領されることになった。ソ連はベルリンを含めたソ連占領地域の孤立化を進め、1949年にドイツ民主共和国(東ドイツ)を建国。ベルリンも東ドイツの首都「東ベルリン」と西ドイツの飛び地「西ベルリン」に分けられた。そのような現状に不満をいだく東ドイツ人は西ドイツへ移住するようになり、熟練労働者を含む多くの労働人口が流出した。その数は270万人にものぼるらしい。その状況を国家の危機だと懸念した東ドイツ政府は西ドイツとの国境ぞいに幅5kmの監視地帯を設置。これで人々に残された亡命ルートは唯一、東ベルリンから西ベルリンへ抜けるルートだけになってしまった。しかしついには、1961年8月13日午前0時、東ドイツ政府は東西ベルリンの境界上を突然鉄条網で封鎖し、すぐさまコンクリートの壁を建設した。これがいわゆる「ベルリンの壁」である。壁は以降28年に渡って東西ドイツ市民を隔離し、壁を越えようとして射殺された人は100人とも200人とも言われている・・・

 ユースの10人ドミに宿を決めた後は、そのベルリンへ繰り出す。ここでやっておかないといけないことのひとつが、リガで買えなかったフロッピーディスクドライブの調達。他にはスロヴァキア大使館でビザのゲット。もともとプラハで取るつもりをしていたけど、ここで取っておくことにした。というのも土曜日にプラハ入り予定なので、ビザの為に月曜日まで待つのは時間が勿体無いからね。

 とはいえ今日は祝日。一部の食い物屋を除いてほぼ全ての店が休んでいる。ヨーロッパにおける休日は日本でいう元旦みたいな感じで、デパートから土産物屋まで足並みをそろえて休んでくれる。FDドライブが確実に手に入るであろう「ソニーセンター」ももちろん休み。

 明日は朝からスロバキア大使館へビザの申請に行くつもりをしていたので、大使館の場所を確認しておくことにした。ユースで住所を調べてもらってそこへ行ったのだが、ビルはあるものの「入居者募集」という意味の張り紙がしてある「がらん」としたビルで、大使館なんてもちろん無い・・・移転したとしか考えられないので、ツーリストインフォメーションに行ってみることにした。

 ベルリンのインフォメーションは優秀でこんな日でも営業している。スタッフも親切でインターネットで移転先の住所を入手。かなり離れていたので、明日直接行ってみることにしよう。まさかここも移転ってことはないだろうからね。また、このインフォメーションは「ブランデンブルク門」というベルリン名所のそばにあり、横の広場ではライブコンサート中。人の集まるところには露店が出ており、とりあえずビールとフランクフルトで気分は上々!

 で、写真でも撮ろうかと思いデジカメのスイッチを入れたら「パキパキパキパキ」という機械音が・・・もちろん普通はこんな音は出ない。電池を入れなおしても状況は変わらず。パリに続きここでもデジカメが壊れてくれやがった。色々とやってみたけど直らず。保証期間内なので無償で修理できるはずだが、書類はパリにあるし修理している時間は無い。ベルリンでは買えないわけは無いので助かったといえば助かったが、またまた大きな出費になってしまった・・・

 そんなトラブルもあったが、なんとここで7泊したリトアニアのヴィリニュスで会った東大生2人組と偶然再会。オレがヴィリニュスでぐうたらしている間に、彼らはポーランド、チェコとまわりベルリンに来たそうだ。やっぱり世界は狭いぞ(笑)

10/04 曇り|晴れ ベルリンを駆ける! Berlin/JUGENDGASTEHAUS-BERLIN(ユース)/0km

 まずは昨日調べたスロヴァキア大使館へ。これもまたわかり難い場所にあったが、人に聞きながらなんとかたどり着いた。申請の書類に必要事項を記入し、写真を貼る。もちろん写真を忘れず持っていったぞ!エライだろ(笑)
 とても親切なお姉さんが対応してくれて、スロヴァキアに対してかなりイメージアップしたが、即日交付のエクスプレスで105DMもしたのはいただけない。というか高すぎじゃ!内訳はビザ代50DM、エクスプレス追加料金50DM、ビザのシール代5DM。時間を金で買った気分になったよ(^_^;;

 ビザは午後2時に出来上がるらしいので、それまではデジカメ探し。ユースのレセプションで聞いていたPC関連の店があるという繁華街へ行ったが、比較的大きな店が1軒あっただけ。しかも値段は全般的にかなり高い。デジカメなんて時と共に値崩れするものなのに、6月にパリで買ったモデルがほとんど同じ値段だった・・・

 困った時のインフォメーション頼み。別の店をピックアップしてもらい、今度は電車で移動。そこは一番大きな店らしく、品揃えはまずまず。でも値段はそれ程でもない。とはいえ、先程行った店に比べると少しは安い。しかし、そこには「特価品」としてOLYNPUSのニューモデルが売られていた。「E-10」というフラッグシップモデルの弟にあたる「E-100RS」という一眼レフタイプ。150万画素だがHP作成用には十分だし、光学10倍ズームで1秒間に15連写もできるらしい。ズームや連写は特に必要ないが(これがウリのモデルなんだけどね)、マニュアルモードが使いやすいというのが気に入った。値段も1,000DMというのもヨーロッパではかなりいい値段だろう。300万画素コンパクトのニューモデルが2,500DMもするようなところだからね・・・ボディはそれなりに大きいが、即決してしまった。

 ビザの時間が迫ってきたので大使館へ戻る。先程のお姉さんが笑顔で迎えてくれ、パスポートを返してくれる時に一言、「スロバキアでいい旅をしてくださいね」と付け加えてくれた。こういう些細なことでも、その国に対して大きく印象が変わってしまう。スロヴァキアへ行くのが楽しみになってきたぞ!

 一旦ユースへ戻りデジカメのセッティング。3台目のオリンパス機なので説明書は必要ない。ここで初めてわかったことがあって、一眼レフだと思い込んでいたが、ファインダーを覗くとそこにはデジタル画像が映し出されていた。最近はこういうモデルもあるんだなぁ、とちょっと感心。次なる目的のFDドライブを買いに行く時に1枚撮ってみたがまずまずの画像だった。ちなみに右の写真はベルリンのポツダム広場に林立するビル。ソニーセンターもここにあるんだよ。

 そのソニーセンターであっさりとFDドライブを購入後は、デジカメの箱に説明書や不要な付属品、他には使わなくなったものや各種お土産を詰め込んで郵便局から日本へ送り返した。

 今日はユースでまた別の建築を専攻しているという東大生と知り合った。夜はその彼と昨日の2人と共に近くのパブでビールを飲み、さらにダーツで遊んだ。ユースに戻ってきてからもくだらない話をして、結局寝たのは3時半。明日ここを経つ予定なんだけど・・・

10/05 晴れ 迂回路でアウトバーンを疾走(笑) Gorlitz/Pension Gaststatte DREHSCHEIRB/272.8km

 9時半チェックアウトという厳しすぎるルールを守るために、眠い目をこすりながら8時に起きた。かなり眠たいがここでだらだら過ごしてしまうと、昨日高い金を払ってゲットしたビザの意味がなくなってしまう。それはあまりにもったいない・・・

 まずはかなり汚れていたオイルを交換。ラトビアからドイツへ船で渡る前にブレーキランプ(常時点灯の方ね)が切れたので、そのバルブも同時に交換しようと思っていたのに、そっちは忘れていた。荷物を全部載せてしまった後で気が付いても遅すぎる。まぁ、今日は暗くなる前に宿を決めるつもりだから、特に問題は無いだろう。

 ベルリンから出る時に渋滞に巻き込まれ時間をロス、郊外の道路でも突然渋滞が起こり(渋滞が起こるような場所ではないのに・・・意味が不明の自然渋滞だった)さらにロス。また、今日通った一般道は工事中の区間が何箇所かあり、そのたびに迂回ルートを走らなければいけなかった。

 その迂回路と言うのが、あの「アウトバーン」ってこともある(笑) つまり、速度無制限のアウトバーンが一般道の迂回ルートに組み込まれているので走らざるをえない。そのために今日だけで5回も走ってしまった。そうそう、迂回路でも一番ひどかった状況を書いておこう。「この先通行止め、迂回ルートは左折」という意味の看板に従う。GPSを見ていると、元の国道からどんどんと離れていく。さらにアウトバーンを走りまた一般道へ・・・元の国道へ戻ったのは約1時間後。50km以上も走ってしまった。が、左折した場所からわずか5km程先の地点へ戻ってきているではないか。迂回した軌跡がはっきりとGPSのモニターに残るのでがショックはさらに大きかった。

 予定ではポーランドに入っているはずなのに、6時間以上走ってまだドイツだったりする。「Gorlitz」という町に泊まることになったが、なかなかいい雰囲気でベルリンのような大きな町には無い落ち着いたところがある。ペンションの主人は言葉は通じないがとてもいい人。右写真はその宿から一歩外に出た所で撮影したが、石畳の道にドイツの典型的な町並み、さらに教会まで見えているのはポイントが高いぞ。

 ちなみにここはポーランドとの国境のすぐ横にある町なので、国境で面倒なことにならなければ明日中にポーランドを抜けてチェコのプラハまで到達できるだろう。

10/06 晴れ|曇り ポーランドからチェコへ Praha/Hotel Rococo/173.8km

 今日は朝から公衆電話でホームページのデータをアップロード・・・接続自体はうまくいったがサーバーが応答しない。以前もこういうことがあったが、接続出来た時にアップできないのは困りモノ。「ハードウェアトラブル」だと予想しているが、まだプロバイダからの連絡は無い。金を払ってるんだからしっかりしてくれよ!

 結局アップできないまま12時頃出発。昨日「この町は国境の横にある」と書いたが、町の中に国境があった。国内への行き先の看板は多くあるのに、ポーランドへの看板はほとんど無い。少し苦労したが、そんなに大きな町ではないので迷っているうちに国境へたどり着いた。唐突に国境施設が現れたので、ちょっとびっくりした(笑)

 警官はパスポート最終ページのオレが望んでいた空欄に、ご丁寧にスタンプを押してくれた。ほとんどの場合テキトーな場所に押されるのだが、最終ページはエストニア入国・ラトヴィア入国・リトアニア入国・ラトヴィア入国・ラトヴィア出国・ドイツ入国・ドイツ出国と密に埋まったのでちょっと嬉しかったりする(^_^;;

 次はポーランド側でスタンプを押され入国。特に問題も無くあっさり通過できた。のども渇いたしガソリンも給油したかったので、ドイツマルクの小額紙幣を両替。ポーランドに入ってまず気になったことは、舗装の状態が悪い(バルト三国と同程度)ということ。道路の状態の良し悪しは、その国の経済状態をモロに表している。スイスなんかでは、どんな田舎でも道路のど真ん中に大穴(カブで落ち込むと確実にコケるレベル)なんてありえないが、バルト三国には当たり前にある。あたりの景色もがらりと変わり、一面に巨大な畑が広がっていた。

 次は両替屋さえないド田舎の国境を通過し、チェコへ入る。その途端、起伏のある道に変わった。田舎道から高速道路風の道を経て夕方にはプラハに到着。途中でGPSの乾電池が切れたので自分の位置を正確に把握できず迷ってしまった。というのも普通は「中心部」を示す現地語の看板(CentreやCentrum、Centro、Zentrumなど)があるのだが、プラハにおいて観光の中心(旧市街)は「STARE MESTO」と書かれていたから。地名を知らなかったので、意味がわかる訳がない。

 そのプラハについては明日書くことにしよう。

10/07 晴れ|曇り プラハの天文時計 Praha/Hotel Rococo/0km

 プラハの第1印象。とにかく観光客が多い・・・びっくりするくらい多い。その観光客目当ての両替屋のほとんどが24時間営業だったりする。昨夜は12時前まで旧市街をぶらぶらしたが、そんな時間でも人が絶えることはない。さらに物価が安い。ビールにつまみをつけて約180円。しかもビールが美味い!さすがピルスナー発祥の地だけある。

 今日はプラハの1日観光。日曜日だが観光客が多い町なので、土産物屋はほとんど営業している。大通りには「いかにも」という観光客がたむろしていた。まず国立博物館へ行き鉱物コレクションを見た後、小高い丘へ上りプラハを望んだ。左写真はプラハ城と町並み。天気はイマイチだったが、赤い屋根が美しく観光客が多いのも納得できる。

 旧市街にも「見所」と呼ばれているものがたくさんあるが、そのうちのひとつ「天文時計」について書いておこう。右写真がそれで、旧市庁舎の塔の下部にある。マウスカーソルを写真の上へ持っていくと拡大するのでよく見たい方はどうぞ。

 これは15世紀に作られたもので、当時の姿で今も動いている。またこの作者に関する面白い話がガイドブックに書いてあった。

 ひとつは時計作りの技師であったミクラーシュという人物が1490年頃に作ったという説、もうひとつはカレル大学の数学教授ハヌシュが作ったという説。後者の説に関してはつづきがある。

 出来上がった時計があまりに素晴らしかったので、彼のもとに他の都市からも注文が来るようになった。しかし、プラハ市議会は2度と同じものを作らせないようにとハヌシュの両目を潰してしまったそうだ。盲目になったハヌシュはそれでも時計を管理していたが、やがて病でこの世を去り、彼の死と同時に時計も止まってしまった・・・現在は1948年に取り付けられた電動装置で作動しているらしいが、「電動」と知ってしまうと一気にありがたみが無くなってしまったよ(笑)


戻る