カブでヨーロッパ一周編

 炎の10日間 [スウェーデン・フランス・アンドラ] (2001/09/02-09/11)

・09/02 緊急事態
・09/03 まずはパリへ移動
・09/04 TGVに乗り「アンドラ」へ
・09/05 ノートPC&デジカメ購入
・09/06 免税天国
・09/07 湯治で疲れを癒せず
・09/08 アンドラの休日
・09/09 パリへカムバック
・09/10 設定作業に追われて
・09/11 世界が震恐した日 オレは? そして君は?

通貨単位:SEK(スウェーデンクローネ)/1SEK=約13.5円 FF(フランスフラン)/1FF=約17円 Ptas(ペセタ)/100Ptas=約66.6円


09/02 雨|曇り|晴れ 緊急事態 Stockholm/ZINKENSDAMM(ユース)/79.8km

 「炎の10日間」の幕が開けた。無くなってしまったものは、泣いてもわめいても仕方が無いので早急に対策しないといけない。

 税金の高いここスウェーデンでパソコンとデジカメを買い直すというのはバカげているので、カブと主な荷物をストックホルムに置き、免税で買い物が出来る聞く「アンドラ」へ移動することにした。ちなみに「アンドラ」とは、スペインとフランスの国境にあるピレネー山脈の中にひっそりとたたずむ国で、あらゆるものが免税なのだ。さらに途中パリによって、Reynaud家に預けているソフトウェアも回収したい。念のためにソフトはほぼ全部持って来ていた。そういう準備をしていて良かったよ、マジで。アンドラ行きを決意したので、まず行き方を模索。翌日が早い関学生パッカーの2人の持っていた「トーマスクック時刻表(ヨーロッパの主な鉄道路線を網羅している時刻表)」を借り、見方を教えてもらい(というより見てもらった)確認。列車ならパリまで1日で移動できるようだが、乗り放題パスを持っていないオレにとっては飛行機で移動するのが賢い方法だ。列車なら運賃が片道3万円程度だが、飛行機なら時間も早く、もっと安く行けるに違いないと踏んだ。できればアンドラまで飛行機で行きたかったのだが、残念ながらアンドラには飛行場が無いのだ。

 朝一にまず警察へ行き、盗難証明書を発行してもらった。念のために「携行物保険」にも加入していたので、証明書さえあればお金は返ってくる。こういう面倒くさい時、英語が通じるのは本当に助かる。もしこれが、英語がほとんど通じないところだったら往生していただろうな。

 証明書をGETした後は、ストックホルム近郊でカブと荷物を預かってくれる人探し。といってもスウェーデン人のPeterに電話をして、考えられる人を紹介してもらおうという魂胆だ。もちろんPeterは二つ返事で引き受けてくれて、6月にマダガスカルの巡検で一緒だったウプサラ(ストックホルムの北約70kmにある大学都市)大学の「Johan Kjellman」に連絡をとってくれた。実を言うと、ストックホルムに住んでいるという友人数人にも電話してもらったのだが、あいにく今日は日曜日ということで全員が不在だったらしい。彼の家に電話し「今からパリ行きの航空券を探したいので、夕方(後日談だが、この表現が悪かった)ウプサラへ行きます。ウプサラに着いたらまた電話します」と伝えた。

 休むヒマなく航空券探し。今日は日曜日なので期待薄だが、ホテル紹介所を兼ねている、中央駅のツーリストインフォメーションに行ったが、相変わらずで最悪の対応。「お前等の仕事はホテル紹介だけとちゃうやろが!ええ加減にせえよ!」と怒鳴りちらしてやってもよかったが、あいにくそんなヒマは無いので、シティーマップに見つけたもうひとつにインフォメーションへ行くことにした。そこのインフォメーションの対応は良く、かわいいお姉さんがトラベルエージェントの集まっている通りやSAS(スカンジナビア航空)のオフィスの場所と営業時間。さらにSASから直接買った方がちょっと安いという情報まで得ることができた。今日は全て休みなので、明日朝にチケットを取ることにした。

 一度ユースへ戻り、「ウプサラ」へ移動するために荷造り。アンドラ行きに必要な荷物だけをデイバックに詰め、それ以外は振り分けバッグへ。荷造りが出来たので、Johanの家に電話をしたが何故か留守電・・・とりあえずこれから出発するとだけ吹き込み、いざ「ウプサラ」へ出発。高速しか道路が無いので、もちろん高速をひた走る。とはいえ制限速度はひくく、おまけに路肩の広いので特に危険は感じず、夕方5時半頃到着。町の中心から再度Johanに電話するも留守電・・・どうなってるんやろう?もしかしたら番号を間違えてるのか?と言っても、昼前にはつながってちゃんと話できたのでそれはないだろう。とはいえ八方塞なので、Peterに電話して確認してみた。もちろん番号は間違い無い。しかしPeterは「電話帳で住所を調べて家まで行ってみたら?」と対策案を出してしてくれたので、とりあえず駅へ移動。駅で電話帳を借りて、彼の住所を調べ当てた。その住所を見せて「何処にあるの?」と聞いてみたら「ちょっとわからないけど、バスの運転手に聞いてみるとわかると思うよ」というので、一旦外へ。すぐ近くにタクシーの運ちゃんがいたのでアタックすると、わかりやすく教えてくれた。さすがタクシーの運ちゃんだね。道にも詳しいし、英語も確実に通じる。

 場所がわかったので家まで移動。中心からそれほど離れてはいないが、かなり閑静なところだ。無事家を探し当てたので、その前でキョロキョロしていると、外にいた隣に住んでいる人が話し掛けてくれた。ここは間違いなくJohanの家で、今は家族みんなで外出してるらしい。夕方には戻ると思うというので、その言葉を信じて待つことに・・・というより待つしかない。待っている間も、近所の人や子供が話し掛けてくれたので、そんなに退屈ではなかった。

 結局、夕方の9時をまわった頃にJohanの一家が帰ってきた。かなり待ちくたびれたが、詳しく事情を話し、カブと荷物を倉庫へ置かせてもらうことになった。「泊まって行ったら?」と勧めてくれたが、明日は朝一でパリ行きのチケットを取らないといけないので、ストックホルムに戻らないといけない。Johanは車で駅まで送ってくれ「IC(インターシティ)」という都市間を移動する列車に乗り込み、午後11時頃ストックホルムのユースへ帰ってきた。

09/03 雨|曇り まずはパリへ移動 Paris/Reynaud邸に居候/**km

 朝10時前にはSASのオフィスへ。チケットの値段が気になっていたのだが、往復で約2万5千円と以外に安く、今日の午後1時5分発のパリ行きを押さえる事ができた。またここで、昨日何度か電話したのだが、あいにくつながらなかったパリに住むEmmanuelに連絡がつき、今夜泊めてもらえることになった。

 あまり時間も無いので、バーガーキング(ポテトがマクドより美味いと思うのはオレだけ?)で早めに昼飯を食らい「Arlanda Express」という空港特急(値段はちょっと高いが、乗ってみたかった)に乗り込み空港へ。免税店でウォッカを買おうとしたが「EU内の移動の人には売れない」と言われ買えなかった点を除けばおおむね順調に進んだ。

 カブで旅をしていると、飛行機は信じられないくらい速いと思う。オレが何日もかけて移動した距離をわずか数時間で移動してしまう。またたく間にパリの人になった。パリ到着後は、鉄道とRER(パリとその郊外をつないでいる列車)を乗り継ぎEmmanuelの家の近くの駅から電話。Emmanuelが車で迎えに来てくれた。

 車に乗ってまず、SNCF(国鉄)の駅へ。ここでアンドラへの行き方、および時刻表、チケットを入手。25歳未満だと割引が適応されるようで、往復で約1万2千円。行きはなんとTGVを使い、帰りは夜行列車。どちらも初体験なので楽しみだ。ちょっとだけ鉄道で旅をするバックパッカーの気分が味わえるかな(笑)

 帰宅後は、明日の朝は早いのですぐに就寝。いよいよ明日は「アンドラ」だぜ!

09/04 晴れ TGVに乗り「アンドラ」へ Andorra la Vella/hotel florida/**km

 5時13分発のパリ行き列車に乗り込み、パリのモンパルナス駅へ。車内での暇つぶしにパソコン雑誌とお菓子を購入。それからTGVに乗り込み揺られること約5時間半。途中、以前に立ち寄ったボルドーを経由し「Toulouse」へ。ローカル線でさらに2時間。バスに乗り換えアンドラの首都「Andorra la Vella」行きの停留所がある「L'Hospitalet Pres L'Andorre(長すぎるちゅーの!)」駅へ。そこからバスで1時間20分。午後6時半頃ようやく「Andorra la Vella」に到着した。途中通った国境ではノーチェックだったのだが、アンドラからフランスへ入る車は一台一台細かくチェックされているようで、長蛇の列が出来ていた。大荷物を抱えて出国する時を考えると面倒くさいなぁ、とちょっと憂鬱になった・・・もちろん英語は通じないしね。

 まぁそれは良しとしてアンドラへ来た感想は、深いピレネーの山々に囲まれたひっそりしてる国なのだが、「TAX Free」ということで町全体がショッピングモールになっていて、田舎というイメージとはかけ離れている。道路は狭いのに車はいっぱいで、警官が交通整理までしている。渋滞しているので空気も排気ガス臭い。観光客(というより買い物客)も多い。もちろん写真は後日撮影。

 早速、ノートPCとデジカメを探す。「TAX Free」とはいえ、店によって値段はまちまちなのは困ったところだ。デジカメに関しては何軒もまわり、最安の店を突き止めたが、肝心のパソコンの方はというと・・・パソコンを扱っている店そのものが無いのだ!これはしてやられた。英語が通じた店の店員に聞いてみたが、アンドラにはそういう店は無いらしい。「ピレネースという大きなデパートには少し置いてるから行ってみたら?」と教えてくれたので明日はそこへ行ってみることにしよう。

09/05 晴れ ノートPC&デジカメ購入 Andorra la Vella/hotel florida/**km

 昨日の疲れ(といっても車内では爆睡だった)があったのか起きたら昼。とはいえ、もたもたするわけにはいかないので、昨日聞いていたデパート「ピレネース」へ。なんとそこには「SONY」のちょっとした特設コーナーがあり、なんと「vaio-C1」が置いているではないか!値段は決して安くは無いが、オレの持っていたのと同じモデルのヨーロッパ版(と思われる)なので、今までのソフトを使って簡単に日本語版のWindows2000が乗せられるハズだ。また、盗られていない超大型バッテリーと急速充電器もそのまま使えるし、さらにキーボードが英語版だという魅力もあって購入することにした。CDドライブが付属ではないので、パリへ戻ったら急ぎセットアップすることにしよう。

 パソコンをGETした後はデジカメ。今回は「Nikon COOLPIX 950」を購入。オリンパスがお気に入りなのだが、E-10(一眼レフのフラッグシップモデル)はアンドラとはいえやはり手が出ない値段だった・・・他の機種はあまり魅力が無いので、前から気になっていた「COOL PIX」にしたというわけ。操作感が違うのでちょっととまどった(といってもわずか10分くらい)が、さすがにカメラメーカーのものだけに使い勝手は上々。レンズ部分が回転するので、超ローアングルや超ハイアングルで撮影できるというのはおいしい。また、面白いのは説明書が鬼のようにあること。さすが多言語ヨーロッパといった感じで、同じ内容のものが6セット(6ヶ国語)付いてくるのだ(笑)

 ここ「アンドラ」はフランスとスペインの国境にある小さな国だ。とはいえここの雰囲気はスペインそのもの。お金も基本的にはスペインペセタで、フランスフランも一応使えるといった表現がぴったり。言葉もスペイン語だしね。その為、食べ物もスペイン料理がメイン。久しぶりに食ったイカ墨のパエリャは懐かしく美味しかった。

09/06 晴れ 免税天国 Andorra la Vella/hotel florida/**km

 「アンドラ」は前述のとおり「TAX Free」。つまり全てのものが免税で買えるという夢のような国だ。そのため、酒やタバコ、ガソリンといった税金の代名詞みたいなものは劇的に安い。オレのお気に入りである「ラッキーストライク」は、1カートン(10箱入り)で買うと、2,000Ptas。1箱あたりなんと130円。もちろん2カートン購入。ガソリンは無鉛レギュラーでリッター80円。あまり安くないと思うかもしれないが、ここは山深いところにあるので輸送費も考慮するとかなり安いだろう。小さな商店ではコカコーラが1缶約50円。食料品の類はかなり安く感じたね。

 そうそうタバコに関してちょっとおかしなことを発見した。「マールボロ」は1カートンで2,500Ptasなのだが、「マールボロUSA」なるものがり、外見は普通のマールボロなのだが、値段が1カートンで4,000Ptasと2倍近い。ヨーロッパでライセンス生産されているものと、アメリカ国内で作られたものなのだろうが、これだけの価格差はよくわからん。USAはさぞかし美味いのだろうか(笑)

 今日はそんなアンドラの町を散策してみた。ウィンドウショッピングってのも結構楽しいもんだね。

09/07 晴れ 湯治で疲れを癒せず Andorra la Vella/hotel florida/**km

 アンドラはリヒテンシュタインと並んで切手でも有名らしいので郵便局で買ってみた。郵便局は「LA POSTE」と呼ばれ、フランスの郵便局が代行しているようだ。でも切手に関してはアンドラで独自のものを発行しており「コレクション」という名称で、数枚セットになっているものがお土産用に用意されている。
 結論:きれいな切手だけど、リヒテンシュタイン程ではない(笑)

 切手の後は、アンドラにあると聞いていた温泉へ行ってみた。かなり大きな施設でレジャーランドといった感じ。久しぶりの温泉だったが、いかんせん湯の温度が低すぎた。温泉には違いないらしいが、これでは温水プール。実際、中身は温水プールなんだけどね。一番温度の高いローマ風呂でも36度。仕方ないのでサウナを存分に楽しんでやった。湯治で疲れを癒すつもりだったが、やはり日本以外では無理のようだ。あぁー、温泉が恋しい(笑)

09/08 晴れ アンドラの休日 L'Hospitalet Pres L'Andorre - Paris 夜行列車/SNCF/**km

 今日は夜行列車でパリへ帰る日。夕方5時に「L'Hospitalet Pres L'Andorre」行きのバスがあるので、それまで時間をつぶさないといけない。しかし今日はアンドラの休日で、何か大きなフェスティバルがあるらしい。その為、ありとあらゆる店が休み、ツーリストインフォメーションまで休んでいる。開いている店といえば、マクドナルド、バーガーキング、ピザハット、ケンタッキーフライドチキンと数件のレストラン、ガソリンスタンドのみ。そんな状況では時間をつぶすのも一苦労だ。実際広場のベンチで昼寝をしてみたり、閉まっている店の中を覗いてみたりして、なんとか時間を潰した。

 バスに乗り込みフランスとの国境を目指す。アンドラへ入る際、恐ろしい程の車の列を見ていたのでゾッとしていたが、今日は全く列が出来ていない・・・まさか国境の管理施設まで休みとか?そんなバカな話は無いはずだが、そのまま国境もフリーパスで通過した。パソコンとデジカメその他の大荷物を持っていたので、税関でいちゃもんをつけられるかも?と思っていたが取り越し苦労に終わった。

 すんなりと国境を通過できたので、バスは定刻よりも1時間半以上早く駅についた。早くついても困りもので、なーんにもない駅の待合室で3時間近くも待つことになった。

 定刻通りにやってきた夜行列車に乗り込み、パリを目指す。乗り換えなくていいのは助かるが、金をケチって「クシェット(ベッドのある座席)」を取らなかったことをちょっとだけ後悔した。リクライニングできるイスだったが、空席も多いので2席を確保し横になって眠る。車内はかなり寒かったので時々目が覚めた。それでも列車はパリへ向かって走って行った・・・

09/09 晴れ/曇り パリへカムバック Paris/Reynaud邸に居候/**km

 目が覚めた時にはパリのすぐ近くまで来ていた。ということはほとんど眠っていたことになるが、体はかなりだるい。さらに疲れがたまった感じがする。今までに何人もヨーロッパを列車で回っているバックパッカーにあったが、彼らの苦労を少しは感じることが出来たと思う。列車の中ではほとんど眠っていても、なかなか大変だよ・・・

 到着後はすぐさま列車を乗り換え、Emmanuelの家の近くの駅へ。駅まではEmmanuelが迎えに来てくれた。Reynaud邸に到着後は、久しぶりに会ったEmmanuelの両親と少し話をした。先日オレがここへ来た時には彼らは旅行中だったため会っていなかった。

 一眠りしたいところだが、そんな気分にもなれないので、すぐさまノートPCのセットアップ開始。今日は一日中作業に追われたが、実はまだ完了していない。明日も一日中かかりそうだなぁ・・・

09/10 晴れ/曇り 設定作業に追われて Paris/Reynaud邸に居候/**km

 もちろん今日は一日中設定作業に追われた。設定だけでなく、たまりにたまったこの日記も書かないといけないし。そんなこんなで、やはり一日かかってしまった。明日の昼にはスウェーデンへ戻るのだが、今の時刻は翌日の午前2時過ぎ。

 そんなこんなで大変だったんだけど、これを読んでいる人にひとつお願いがあります。

 今までにメールをくれた人は、お手数ですが是非もう一度メールを送っていただきたいのです。ちなみに全てのメールアドレスが消失したので、大学の友人など近くにいた人々にもメールが送られない状態です。このページを見ている人は一言でもいいので、よろしくお願いします。

09/11 晴れ|曇り/雨 世界が震恐した日 オレは? そして君は?  Uppsala/Kjellman邸に居候/0km

 とりあえず無事にスウェーデンまで戻ってきたのだが、今日は世界中が震恐した大変な1日だったということは書いておかねばなるまい・・・

 眠い目をこすりながら朝から荷造りし、お世話になったReynaud家を10時前に出発。出発前の別れはいつものことながら辛いものだ。お母さんは涙目になりながらフランス語で「Good bye and good luck. See you soon.」という意味の言葉を掛けてくれた(お母さんは今英語を習っているらしいので、フランス語で言ったの後に英語で解説してくれた)。オレも世話になった礼を涙目で伝えた・・・旅をしていると無数の出会いと別れを経験するが、別れだけはいつまでたっても慣れないんだよなぁ。飛行機は昼に飛び立つので、あまりもたもたはしていられない。空港へ最寄の駅までは親切にもお父さんが車で送ってくれたので助かった。

 パリから空港へ向かう前に、久しぶりにラーメンでも食っていくつもりだったが、そんな時間も無さそうだったので未練たらたらで諦めた。しかーし、空港への列車の中で間違いに気が付いた。13時05分発だと思い込んでいたが、チケットを確認すると13時50分発だった(笑)
 それなら飯を食っていく時間は十分あったのに、相変わらずのマヌケっぷりは変わっていない。でも逆でなくて助かった(^_^;;

 仕方が無いので空港のレストランでパスタを食べたが味はイマイチ。まぁもともと期待はしてなかったからいいんだけどね。飛行機も定刻通りにストックホルムへ飛び立っていった。

 そうそう、機内でちょっと面白い事を知ったので紹介してみよう。機内食でパスタ(本日2度目)が出たのだが、付いてきた胡椒の小袋にこんな話が書いてあった。

 「Pepper has been called "the gift of the East", though "gift" means poison in Swedish, don't let that put you off.」

 日本語に訳すと「胡椒は『東洋の贈り物(ギフト)』と呼ばれています。でも、スウェーデン語で『ギフト』という言葉には、『毒』という意味があるのです。でも使ってね(笑)」

 なかなか面白い話だったので、本当かどうかスチュワーデスのお姉さんに聞いてみたら本当にスウェーデン語では「毒」という意味らしい。つい最近この袋に変わったらしく、初めてそれを見たとのことで、他のスチュワーデスにまで見せに行ってみんなで笑っていたよ(^_^;;

 そんな楽しいひと時を過ごし、飛行機は定刻通りストックホルムのオーランダ空港に到着。手荷物だけなのでそのまま「列車のりば」へ移動。空港内の様子は特に変わっていたわけでは無く、なんとなくあわただしい気はしたが、この時は気にも留めていなかった。列車の時間を確認後、カブを預かってくれているJohanに電話をし駅まで迎えに来てもらうことになった。Johanが言うにはウプサラまで40分くらいかかるとのことだったが、「X2000」とかいう洒落た名前の列車でわずか15分でウプサラ駅に着いてしまった。食堂車まであったので特急料金みたいなのがいったのかもしれないが、普通料金で乗ってやったぞ(笑)

 駅前でしばし待ちJohanと合流後、車は彼の家へ。車の中で「いやぁ、よかったよかった。空港は大変だっただろう?」と突然言うので「ん?どういうこと?何かあったの?」と聞き返すと、「えぇー!知らないのか?アメリカのワールドトレードセンターとペンタゴンにハイジャックされた旅客機が突っ込んで大騒ぎだぜ!テロリストの仕業らしいけど、恐ろしすぎる。信じられないよ・・・」などと言うので、頭の中が混乱してしまった。この事件の詳しい内容はみんな知っているだろうから割愛するけど、事件が起こった瞬間に飛行機に乗っていたことを考えたら、背筋が凍る思いがした。

 彼の家で夕食にパスタ(本日3度目。嫌いじゃないんだけど、ここまで続くとね・・・)をご馳走になりテレビを見たが、どのチャンネルもこのニュース一色。オレに気を遣って「CNN」を見てくれたので、ようやく詳しい状況が把握できた。恐ろしい映像の前に言葉は詰まり、涙が溢れてきた・・・

 ご存知の通り、このホームページは不特定多数に公開している。だから多くの人に聞いてもらえるのではないかと思い、オレが今考えている事を書こう。この事件は「遠い外国で起こった事件」として軽くは考えないで欲しい。つまり、怖いなぁとか、信じられないとか、もし日本でこんなことが起こったらとか、それだけではなくてもっともっと考えて欲しい。実際信じられないことではなく、十分に予想していた事件ではないだろうか?大国「アメリカ」の「あり方」について世界中で考え直す必要があるのではないか?しかし、多くの日本人は、度々起こる海外での紛争も「外国の出来事」として深く考えていないように思う。でも決してそうじゃない。ヨーロッパを旅をしていると感じるのだが、こちらの人々は「世界の出来事」は「自分達の出来事」として考えている。多くの日本人は島国ということも手伝い、「世界」は「日本」とは違うところだと思ってはいないか?でも今の日本は、世界を動かしている中心的な国に違いないということを忘れないで欲しい。こちらの新聞でも、株価はヨーロッパとアメリカと日本について必ず書いているし、お金の相場もユーロとUSドルと円について書かれている。なのに日本人にその自覚が無いというのは大問題に違いない。この事件の後、アメリカが完全に復活するには多大な時間と労力を要するだろう。世界経済が混乱するかもしれない。そんな状況下で日本は、今まで以上の働きを「世界」に対してしないといけないのだ。それなのに日本人の一人一人がその事を自覚していないのでは、本末転倒だとオレは思う。国を直接動かしているのは政治家だが、その原動力は間違いなくオレ達一人一人。「日本」は「世界」の中にあるということを忘れないで欲しい。

 堅苦しいことを書いてしまって申し訳ないが、どうしても書きたかった。面倒くさいと思った人は流してもらってもかまわないが、こんな事を考えている奴が少なくとも1人は居るということは心に留めていてもらえればそれでいい・・・

 こんなことを書いた後でなんなのだが、そのニュースを横目に見ながらJohanの鉱物コレクションを見せてもらった。彼のコレクションは以前ルクセンブルクで見せてもらったPeterのコレクションとは趣向が違うが、ここでも素晴らしいコレクションを堪能した。古い歴史が詰まった標本が数多くあり、多くの古い鉱物学の本と共に大事に保管されている。鉱物学において超有名な人のコレクションだった標本もあって、なかなか見れるものではない。さらにスウェーデンの鉱物としてお土産に何サンプルかをもらうことが出来た。

 こうして今日、ようやくスウェーデンに戻ってきたわけだが、このトラブルで遅れたのは10日間。この期間が長いか短いかは人によって考え方が違うが、オレにとっていい勉強になったと思うし、いい経験ができたと思う。ただでさえ遅れていた旅程がさらに遅れてしまったので、今後の予定を再考しないといけないが「焦らずのんびり」という姿勢だけは崩さないで旅をしよう(笑)


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