縦横夢走 2007年 沖縄 編

 ナンクルナイサー (2007/08/24-08/29)

・08/24 理想と現実
・08/25 雨のヤンバル Part.2
・08/26 太鼓の音につられて
・08/27 奇跡の1マイル
・08/28 船上からの眺めは
・08/29 名古屋からの旅路


08/24 曇り/晴れ 理想と現実 沖縄県那覇市/友人の家/223.6km

 深夜0時過ぎに友人宅に帰ってきたものの、船内で寝すぎたのでなかなか寝付けなかった。ずっと寝ているだけだったが、意外と身体は疲れるもので、今日は11時前から行動を開始した。

 本島の行きたいところは大体まわったのだが、まだ行きたいところが残っていたので、今日はそこを目指すことにした。

 那覇から国道58号で北上し、ヤンバルの入口「道の駅 許田」で休憩。さらに北上して、沖縄八景のひとつである「塩屋湾」というところを目指す。到着直前で1本道を間違えて変な農道(?)に入って随分遠回りをすることになったが、まわりはパイン畑がたくさんあって、なかなかいい雰囲気だった。塩屋湾はというと、静かでなかなか美しい場所だったのだが、それよりも岸沿いに植えられている画像のものが印象的だった。

0824a これはマングローブの苗木で、湾の何箇所かに植えられているようだった。休憩所らしきものを見つけたので立ち寄ってみたら、苗木の横に看板を発見した(ロールオーバーイメージ)。大宜味村が地球温暖化対策の為に植えているとのこと。マングローブは「生態系の要」だと前に書いたが、それはそこに住む種々の生物にとってだけではなくて、人間にとっても重要なものであることに気づいた。それは当り前の事なんだけど、この苗木は未来の人間にとっての試金石のような気がして、もし何年か後に沖縄を訪れることがあったら、このマングローブの苗木の成長を見たいと思った。

 その後はパインで有名な東村で、道沿いに無人販売所を発見。無人販売所自体はたくさんあるのだが、「百姓ハウス」という名前に負けて、通り過ぎたのに引き返してきた。パインが1個100円だったので1つ購入し先を進む。

 東海岸を南下し、「辺野古海岸」へ。ここは結構有名な場所なので、知っている人も多いと思うが、一応解説しておくと、普天間基地の移転問題で、その移転先として挙げられたのが、辺野古というわけだ。この辺野古の港の横にある海岸に海兵隊の敷地との境界があり、有刺鉄線が張り巡らされているというのだ。

0824b 港はちょっとわかりにくい場所にあったが、もともと大きな町でもないので、さまよううちに到着。遠目に見ると、有刺鉄線に何かが着いていてヒラヒラしているようだった・・・カブを止めて近くへ寄って見ると、色とりどりのリボンが有刺鉄線の刺にさしてあった。

 オレが有刺鉄線に近づいていくと、海岸で何かの訓練をしていた3人の兵隊さんは、オレから逃げるように去っていったのだが、風にたなびく無数のリボンに書かれたメッセージ(ロールオーバーイメージ)を見て、妙に納得してしまった。

 画像のメッセージはその一例に過ぎないが、この辺野古海岸は、米軍を批判する場になっており、いわゆるスケープゴートとなっているような印象を受けた。

 もちろん基地など無い平和な世界がいいということは、誰でも分かっていることだけど、 それは理想論に過ぎない。実際、今現在も世界各地で戦争や内戦が行われているのがその証拠。米軍基地とアメリカとの安保のお陰で、オレ達日本人の平和な暮らしが支えられているということは否定出来ない事実である。ただ、日本人“全員”の安全と引き換えに苦渋を強いられているのが“沖縄”であるということもまた事実なのだ。

 ここ沖縄には終戦から62年経った今も、敗戦の記憶が各所で見ることができる。沖縄に来る前はそれを感じる事はほとんど無かったが、色々と巡ってみて“日本は敗戦国である”ということを突きつけられた気がする。

 休みを利用して沖縄に遊びに来る観光客は非常に多いが、リゾートとして楽しむだけでなく、こういった今の沖縄の現実にも目を向けてくれたらなぁと正直思う。内地の人間が、リゾート気分で沖縄を楽しめるのは、沖縄の人々によって積み上げられた悲しみと苦しさの上に成り立っているものなのだから・・・

08/25 曇り|雨 雨のヤンバル Part.2  沖縄県那覇市/友人の家/237.3km

 今朝は4時半に起きて、お世話になっている友人と一緒に、那覇の沖にある防波堤に釣りに行くことになっていたのだが、見事に2人とも寝坊(笑)

 そんな感じなので釣りは明日にして、今日は2人でヤンバルへツーリングに出かけることになった。友人はオレと同じ90ccのカブに乗っているし、前の時は大雨だったのでリベンジということもあるし。

 今日は東海岸から北上していく。まずは朝食兼昼食として、友人オススメの店へ。場所は石川というところの、火力発電所側の港にあるのだが、漁業組合の婦人部が経営している、地元の人向けの食堂だった。その中でオレは「イカ汁」なるものを注文・・・出てきたものが画像のものだ。

 汁はイカ墨で真っ黒。食べると口の中はもちろん、口の周りも真っ黒になってしまうというものだった。味もイカの生臭さが満載で、苦手な人もいるかもしれないが、オレ的にはまぁまぁといったところだったが、それほど美味いものでもなかった。

 その後はどんどん北上していく。オレ達が来る前に雨が降ったようで、路面が濡れているのが気になったが、途中で林道らしき未舗装路に入ってみた。

 地面は赤土でるぬるぬと滑り、水溜りもあってなかなか手強い。が、残念ながらここは電柱を敷設する際に作った道で、途中で行き止まりになっていた。まぁ戻る途中でマングースを目撃したので悪くは無い小さな冒険といったところかな。

 その後も原生林の中を通る道を走り抜け、安波ダムというところへでると、景色が開けて美しい亜熱帯原生林の姿を拝むことができた。その道は県道2号と合流し、西海岸へ抜ける。そこからは南下し、今まで何度か立ち寄った道の駅「ゆいゆい国頭」で休憩。休憩中に通り雨があったが、濡れることは無く胸をなでおろした。

 が、その雨はこれから起こることの“前兆”に過ぎなかったとは、この時は誰も知らなかった。

 「ゆいゆい国頭」を出て程なくした頃、雲行きが怪しくなってきたのでオレはレインスーツを着た。友人はレインスーツを持ってきていなかったのでそのまま走ることになったが、その直後、土砂降りの雨にやられることになった。沖縄の雨は、濡れてもすぐに乾くのがセオリーだが、その雨は結局那覇に着くまで止むことなく、降り続いた・・・

 途中、恩納村の道の駅の近くにある、海鮮料理屋で夕食を食べたのだが、めちゃめちゃ美味で、ボリューム満点だったことも忘れられない。これで雨が降っていなければ、気分はハッピーだったのだが、店を出ても雨が降っていたのでそのハッピーも何処へやら。オレはレインスーツをお陰で大したことは無かったが、友人は寒さに震えながらの帰路となった。

 今朝出発するときに、天気は良かったので、レインスーツをカバンから出そうと思ったりもしたのだが、出すのも面倒なのでそのままにしていたのがビンゴだった。いつものいい加減さに感謝するとしよう(笑)

08/26 曇り/晴れ 太鼓の音につられて 沖縄県那覇市/友人の家/38.1km

 今朝は本当に4時半に起き、天気も悪くないので、那覇沖一文字という沖にある防波堤に釣りに行った。

 6時発の渡船で防波堤に渡り、那覇空港の飛行機が見られる場所にある堤防で釣りをはじめる。釣り始めた直後、オレがダツというヘンテコな魚を釣り上げた。80cm程の大きなダツだったが、細長い魚で食べる部分も少なそうなので逃がしてやった。その後、友人が写真のハリセンボンを釣り上げる。何とも愛らしい姿をしているハリセンボンは、沖縄で「アバサー」と呼ばれ、よく食べられている魚なのだが、小さいし料理方法が良くわからないというのもあって逃がす事にした。
 その後オレにかなりデカイ魚(多分アオブダイ。こちらではイラブチャーと呼ばれる魚)を掛けたものの、糸を切られてしまい終了。昼頃まで居たが大した釣果もないまま戻ってくることになった・・・まぁ釣りは自然が相手なので、納得するしかないけど、ちょっと残念だった。

 陸に上がってからは一度家へ帰って、荷物を整理することにした。結構長いと思っていた沖縄の旅も、明日の夕方に那覇発大阪行きのフェリーに乗ることになっているので、もう必要の無い荷物をダンボールに詰めて自宅へ送り返す事にした。友人の車で宅急便の集配センターまで連れて行ってもらえたので助かった。

 そうこうしているうちに日も落ちて暗くなってきたので、日記を書こうとPCを立ち上げると、どこからともなく太鼓の音が・・・そう。「エイサー」である。

 「エイサー」とは内地で言う盆踊りみたいなもので、先祖をあの世へと送るために旧盆に行われる古琉球時代から続く踊りのこと。カブを走らせて町を走り回ってみると、各所で行われているようだった。友人から暴動で有名になった「コザ」のあたりで派手なエイサーが見られる、との情報をGETしていたので、そっちまで足をのばしてみることにした。

 若者がしたたり落ちる汗をぬぐいもせず、バチを頭の上に高く振り上げて堂々と太鼓を叩きながら踊る様は文句なしにカッコイイ。それに合わせた三線で刻まれるリズムと女性たちの手踊り・・・カブを止めてしばらく見させてもらったが、あまりの迫力に写真を撮るのも忘れて見入ってしまった。
 聞いたところによると、彼らが集団で道を練り歩く様子を間近で見て憧れた子ども達は、年頃になると地域の青年団に入り、この「エイサー」を継承していくそうだ。 失われつつある伝統芸能が、こういった形で残されているというのは、本当に素晴らしいことだと思う。

 沖縄最後の夜は、そんなエイサーの太鼓の音とともに更けていった・・・

08/27 晴れ 奇跡の1マイル 沖縄県那覇市/友人の家/24.1km

 「奇跡の1マイル」というのを聞いたことがあるだろうか?これは、那覇市内の定番スポットである「国際通り」のことである。

 今は土産物屋を中心に県庁まであり、まさに那覇の中心地といった様相なのだが、戦後間もない頃は、畑の中に通っている1本道だったそうだ。何もかもが破壊されてしまった沖縄戦・・・当時はその道の側で物を売るヤミ市からスタートし、今に至る発展の代名詞になっているのが、この「国際通り」だそうだ。

 今日は沖縄滞在の最終日。フェリー乗り場には夕方には行かなければならないので、遠出も出来ず、この国際通りで土産物を物色することにした。
 ここは初日に訪れて以来来ていなかったが、相変わらずの人。そんな人だかりにオレも混じって色々と買い物をしてみた。
 パインやドラゴンフルーツ、島バナナなどのフルーツ類や、沖縄と言えば忘れられない泡盛などなど。昨日荷物を送って減った分、食料品を中心に色々と土産物を買ってしまった。

 6時半までに乗船手続きをするようにとのことだったので、6時半のちょっと前に港に言ったら、毎度お馴染みの出港遅れ・・・最後の最後まで沖縄で言うところの「テーゲー」に振り回されることになった。「テーゲー」とは、「いい加減」という意味だと聞いたことがあるが、ウチナー(沖縄人)に言わせるとちょっとニュアンスが違うそうだ。そんなこんなで約2時間の出港遅れで、フェリー乗り場から、那覇の夜景を拝めることになったので、まぁよしとしよう。

 船に乗ると、いつものようにビールを飲み、出港して程なくして眠気がやってきたので眠ることにした。帰りのフェリーは51時間とめちゃくちゃ長い。寝られるだけ寝ておかないと間が持たないのだ。

08/28 晴れ 船上からの眺めは 洋上/那覇-名古屋フェリー/***km

 とにかくよく寝たと思うが、昼過ぎには目が覚めた。さて、ここからが暇・暇・暇の船内生活。デッキに出て外を眺めてみたものの、見渡す限り360度水平線。遠くに貨物船が見えることがあるが、まぁそんな感じでひたすら何も無い。

 そのおかげで、美しい夕日を拝むことが出来たが、暇なことに変わりは無い・・・

 だが、夜になると1つだけなかなか良いことが起こった。「現在、進行方向右側で皆既月食が起こっています」という船内アナウンスがあり、外へ出てみたら、僅かに見える月が無くなるところだった。さっきまであった月が無くなり、しばらくするとまた月が現れてきたが、なかなか珍しいものを見ることができた。マダガスカルでみた「皆既日食」程のインパクトは無いが、昔の人は月食を見てどう思ったんだろう・・・なんて考えを思い巡らせるのも悪くない時間だと思う。

 明日朝7時過ぎに名古屋に到着し、大阪に着くのは夜10時過ぎ。
ん?ちょっと待てよ?名古屋から大阪なんて、カブでも半日あれば十分なのに、フェリーだと紀伊半島を回っていくので、丸1日も掛かってしまう。船内生活の暇っぷりもそろそろ限界だったりするし、何よりも船内ではカップ麺しか食べていないので、別のものを食べたいということもある。そんな心境なので、名古屋で下船してカブで大阪に向かうことにした。そうすると昼過ぎには自宅に帰られるだろうし、カブに乗っている方が気分も晴れるしね。

 さて、これから何をしようかなぁ・・・

08/29 曇り/雨 名古屋からの旅路 大阪府豊中市/自宅/171.4km

 昨日は散々寝たからか5時に目が覚めた。名古屋港に入港するのが7時15分とのことなので、その2時間以上も前。外へ出てみると天候は雨・・・今回は肝心な時に雨にやられた気がする。

名古屋港で下船したのは8時前になったが、とりあえず喫茶店でモーニングをいただき、昨年通った道の逆をたどる。国道23号から国道1号。国道25号の旧道を経て国道163号というオレの定番コースなので、地図が無くても楽勝である。

 道中何度か雨に降られたが、レインスーツのおかげで大したことも無く、しかも沖縄の道路と比べると雨でも格段に滑らないので、昼過ぎには難なく自宅に帰り着くことが出来た。

 今回は3週間以上にわたる南の島「沖縄」での旅だったが、思いのほか早く時間が過ぎた。とりあえず病気も怪我もせず無事に帰ってこられたので一安心といったところだ。今年の旅のふり返りについては近日中に書きますので、そちらもお楽しみに!

旅を終えて

 今回の旅は、25泊26日と長く、総行程2300km強。沖縄県内2100kmというかなり長い旅になった。沖縄には初めて訪れたが、なかなか濃い内容の旅が出来たのではないかと思う。友人宅をベースキャンプにする旅というのは初めてのことだったので戸惑うこともあったが、これはこれで新鮮で楽しかった。今回の旅でもたくさんの人と出会い、多くの人に助けられた。旅をしていて人助けをすることは滅多にないように思うが、助けられることは山ほどある。そんな感じで、オレはいつも人に助けられてばかりなので、この恩はいつか誰かに返すことが出来ればいいなぁと常々思っている。今回の旅でお世話になった方々に、この場を借りてお礼を言いたいと思う。「本当にありがとうございました!」


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